作曲家・壺井一歩
Composer / Ippo Tsuboi
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Labs / 実験室

串刺し和音

まえがき

自分の作品を分析的に見ることはさほど好きなことではない。
それは単純に、音楽を巡る論理的な思考が相当に苦手であるということもあるにはあるが、自らの内のブラックボックスをそのままに措くことのメリット、すなわち自分が吐き出した音に常に新鮮な驚きを持ってむかえられることで自分は作曲を続けられていると信じている節が私にはあるからである。
また、音楽の分析は往々にしてらっきょうの皮むきに終わることが多い。
音楽の核心はおそらく、音楽が音でしかないことのその向こう側にあるのであって、音そのものでもないし、音楽をしばしば虚飾する文学めいた理解でももちろんないだろう。

ここでの分析はさすがに音についてに限定したいと思うが、しかしながら以下は作曲者自身の分析であるため、作曲者にしか知り得ない視点から考察されることもあるかも知れない。そしてそれについては客観的な根拠などしばしば提示されないだろう(さらに言えば「作品」から見れば作曲者しか知り得ない視点などむしろどうでもよいことであるに違いない)。
従ってここでは「そのときそう思ったから」などという理由で論が進む可能性も予告しておく。

しかしながら──自らの内に盲目であることを積極的に放置している私のような作曲家にあっても、何かのきっかけで知り得てしまった(まさに知り得てしまった!)方法論というのは仕方なくいくつかあるものだ。
ここ数年にわたって、意識的に用いている方法論をここではまとめてみたい。

以下の譜例1に並んだ4つの長7の和音はC音(黒丸で示した音)を必ず含んでいる。

譜例1:

これら4つの長7の和音は狭義の近親調からはやや広いエリアに分布するが、最も遠い遠隔調の領域にまでは広がっていない。
この例では長7の和音を示したが、短7の和音、「長7の和音+長9度」の和音、「短7の和音+長9度」の和音のときもあり、それらの運用の仕方も作品の局面によって様々だが、特定のある音を必ず含んだ和音の連結/並列(特定のある音に貫かれた和音の連結/並列)という意味からここでは"串刺し和音"と呼ぶことにする。また、「特定のある音」を"核音"と呼ぶことにする。

はじめてこの"串刺し和音"を用いたのは2004年の「7月と銀河ステーション」においてであった。その「7月と銀河ステーション」以後2008年12月現在までに初演のあった作品を以下に列挙するが、そのほとんどで"串刺し和音"を部分的にではあっても用いている(イタリックは数少ない"串刺し和音"が見当たらない作品)。


上記の中から、先に述べたようにはじめて"串刺し和音"の登場する「7月と銀河ステーション」、作品の半分以上を"串刺し和音"が覆う「ある詩人の帰帆」、第1楽章のピアノパートのすべてに"串刺し和音"を適用することになる「幻想航路」の3つを見ていきたい。




7月と銀河ステーション

編成 4-13Strings kotos,17Strings koto
作曲年 2004.9.28
委嘱 ぐるうぷ朋仙歌
初演 2005.7.9 日暮里サニーホール・コンサートサロン
ぐるうぷ朋仙歌1st.コンサート
演奏時間 10分


2004年に作曲された5面の箏のための「7月と銀河ステーション」において"串刺し和音"がはじめて現れる。

あらためてスコアを見返してみると、最初に"串刺し和音"を思いついたと記憶している譜例2の部分は長7の和音ではなく「長7の和音+長9度」の和音などが混在している。9の和音であれば串刺しにされる和音は5つであるはずだがここでは4つしかないことを見ると、おそらくは長7の和音にしたかったのだが箏の調絃の制約とアルペジオの密度の都合等から音を増やしたにすぎず、今まとめようとしている"串刺し和音"はまだこの時点では明瞭な像を結んでいなかったのだろうと思われる。
ここでのそれは"串刺し和音"というよりは17絃箏のE音のバス上に湧き上がるアルペジオの色が変わっていく風景だ。

譜例2:

このあと短いブリッジをはさんで、"串刺し和音"が極めてシンプルな形で登場する。

譜例3:

譜例4:

譜例3は第4箏の刻む核音を包む形で長7の和音が上昇し、譜例4は第1箏の刻む核音を包む形で長7の和音が下降する。そしてそのトップノートがそれぞれ全音音階を形成するように配分および配列がなされている(赤丸でかこってある部分)。調絃上の都合で異名同音で記譜されている音もあるので適宜読み替えてほしい。
譜例3からの核音はGesもしくはFis、譜例4からの核音はFもしくはEisだが、これはどちらも冒頭の長7の和音がG♭M7であることにヒントがあって、このG♭M7に含まれる長7度=短2度(短2度ではなく半音と捉えた方がよい場合もあるだろう)が分水嶺となってそこから世界が裏返っているのだ。
G♭M7を中心に置いて左右に4つの長7の和音を配置すれば以下の譜例5のようになる。

譜例5:

"串刺し和音"の試みの中で長7の和音が含むこの短2度(もしくは半音)の存在は常に重要なキーとなってゆく。



ある詩人の帰帆

編成 Guitar
作曲年 2005.10.31
初演 2006.7.2 東京文化会館・小ホール
第一回日本ギター音楽作曲コンクール受賞コンサート
小川和隆(Gt.)
演奏時間 7分

「7月と銀河ステーション」にはじめて現れた"串刺し和音"はそれ以降のほとんどの作品で(部分的にであれ)用いられることになるが、この2005年に作曲されたギターソロのための「ある詩人の帰帆」に至って大々的な展開を見せることになる。

ギターの開放弦は低い方からE,A,D,G,H,Eであるので、"串刺し和音"をより効果的に、また用いやすいようにこの作品中の"串刺し和音"の核音は1弦と6弦の開放弦であるE音が選ばれた。そこから以下の譜例6で示す4つの"串刺し和音"群が使用されている。

譜例6:

作品の大まかな構造は以下のようになっている。

いわゆるアーチ型の構成をとっているわけだが、"串刺し和音"が使われているのは太字で示した中央部分のB、B'のすべてとa3およびa3'である。
以下に順番に見ていくことにする。


a3(譜例7)
ここから始まる"串刺し和音"の提示。
ハーモニクス、開放弦を有効に使って響きを確保し、5つの「短7の和音+長9度」の和音がEm7(9), C#m7(9), Am7(9), F#m7(9), Dm7(9)の順番で提示される。

譜例7:

b1(譜例8)
練習番号7のPPで進む部分はハイポジションで、練習番号8ではローポジションに降りてきてFF。それぞれ、a3で提示された「短7の和音+長9度」の和音がその順番通りにAllegroで駆け抜ける。どちらのセクションも6本の弦すべてを使う。

譜例8:

b2(譜例9)
1,6弦のE音が間欠的に打ち鳴らされる中、2~5弦を使って和音が上昇する。E音と合わせて長7の和音である。トップノートはここでも全音音階になっている。

譜例9:

b1'(譜例10)
再び同じような風景が続くが和音は「長7の和音+長9度」の和音に変わっている。

譜例10:

b2'(譜例11)
再び1,6弦の鐘の音が打ち鳴らされる中、今度はそのE音を含んで短7の和音になる和音が上昇する。

譜例11:

a3'(譜例12)
"串刺し和音"の提示だった部分がここでは幕引きとして現れる。和音は「長7の和音+長9度」の和音に変わっている。

譜例12:

"串刺し和音"によって作られたこの作品の中央部分は上記のa3'でひとまず終わるが、この直前に差し挟まれる極めて短いブリッジ(譜例13)は"串刺し和音"から限定された音階を引き出す方法論を暗示している。

譜例13:

「長7の和音+長9度」の和音、「短7の和音+長9度」の和音のいずれも、その構成音を音階として並べてみると11音になる。核音から増4度の関係にある音は含まれない(この作品中の和音として言えばB、もしくはAisは含まれない)。
ちなみに7の和音の場合はその構成音を音階化した場合9音になるが、譜例6で示した"串刺し和音"群を総合しても(当たり前だが)その構成音は11音、そこに含まれない音はやはり核音から増4度の関係にある音ということになる。
ここには引き算の考え方が働いている。"串刺し和音"に基づいて作曲されていない部分(譜例には出さなかったが)も含めた全領域において、この作品中にはB、もしくはAisは一切登場しないのである。



幻想航路

編成 solo Piano,Orchestra(2111,sx,2111,2,Strings)
作曲年 2006.11.11
初演 2007.3.22 横浜みなとみらいホール・小ホール
Ensemble Roca Vol.1
高橋勇太(Cond.)稲岡千架(Piano)Ensemble Roca
演奏時間 16分


「ある詩人の帰帆」から約1年後、今もレジデント・コンポーザーとして関わっているEnsemble Rocaの旗揚げ公演のために作曲したこの作品において、"串刺し和音"はさらに徹底した援用がなされた。

全4楽章(16分)中半分以上を占める9分の演奏時間を要する第1楽章「月明かりの凪」のソロ・ピアノパートすべてが"串刺し和音"である。ここで使われる和音群は2種類の9の和音で、「短7の和音+長9度」の和音「長7の和音+長9度」の和音とが淡々と置かれてゆくだけの主部、そして引き算の考え方から導き出された音階へと徐々に変わってゆくアルペジオのCodaである。

譜例14:

上の譜例14は冒頭に現れる「短7の和音+長9度」の和音の"串刺し和音"で、当然5つあり、その核音はC、譜例のようにこの作品中では核音はトップノートに保続されることが多い。いわば「フタをされた」"串刺し和音"である。このことによって"串刺し和音"列はあたかも「光り方が変わる」ように聴こえる。(また、おもしろいことに「短7の和音+長9度」の和音の根音を積み重ねると「長7の和音+長9度」の和音になり、「長7の和音+長9度」の和音の根音を積み重ねれば今度は「短7の和音+長9度」の和音になるのだが、このことがどんな音楽を可能にするのかは今のところ不明。気が向いたらなんかやってみる。)
なお、「短7の和音+長9度」の和音ではほとんど必ず短9度が含まれるように配分がなされているのだが、この「短9度が含まれる和声配分」についてはまた別の機会に譲ることにしたい。

譜例14のように5つの9の和音すべてが出そろっている"串刺し和音"列を「完全ブロック」、途中で核音が変わってしまっている"串刺し和音"列(厳密には"串刺し和音"ではないわけだが)を「不完全ブロック」と呼ぶことにする。ブロックの総数は14、「短7の和音+長9度」の和音の前半「長7の和音+長9度」の和音の後半に分かれている。
Codaを除いた主部に現れるすべての和音をブロックごとに以下に列挙する。


ブロックの最後の和音と次のブロックの最初の和音は同じ和音か、もしくは構成音のどれかが共通であることによって次のブロックへと受け渡されてゆく。不完全ブロック中の途中で核音が変わってしまう部分でも同じような配慮がなされている。
ブロック9とブロック10の間にはグリッサンドを伴うティンパニだけのブリッジがあって、作曲中私は、ここで大きく音楽が変わるのだと思っていた。ピアノが淡々と"串刺し和音"を置いてゆくことに変化はなく、その和音が「短7の和音+長9度」の和音から「長7の和音+長9度」の和音に変わるということだけをもって、風景の持つ意味がまったく変わるような時間を設計したかった。

14のブロックを終えたのち、引き算でできたアルペジオのCodaがはじまる。

譜例14:

ブロック14の最後の和音FM7(9)がFとCの三和音に分解され、それをペダルを踏んだままのピアノがPPで静かに昇るアルペジオ。
波風ひとつない水面のようなそこへFM7(9)に含まれないB音が落とされる1) と同時に、non vib.の6本の弦楽器群2)molto vib.の残りの弦楽器群3)管楽器群4) の順番でFM7(9)をたなびかせてゆく。たなびくオーケストラのFM7(9)の向こう側でピアノはそのアルペジオからひとつずつFM7(9)の構成音F,A,C,E,Gをそれ以外のCis,D,Es,Fis,As,B,Hと取り替えてゆく。
オーケストラのFM7(9)が最初のnon vib.の6本の弦楽器群のみになったとき5)(ダイナミクスはFに変化している)、ピアノのアルペジオはFM7(9)に引き算された7音からなる歪んだアルペジオとなってきらめきながら辺りの時間を止める。


参考楽譜:
第1楽章「月明かりの凪」(ピアノパート)PDFファイル 507KB

音源:
YouTube
高橋勇太(cond.) 稲岡千架(Pf.)
Ensemble Roca
2007.3.22 横浜みなとみらいホール・小ホール Ensemble Roca Vol.1