作曲家・壺井一歩
Composer / Ippo Tsuboi
Works / 作品Labs / 実験室 > 「渚と詩人の三章」についての覚え書き

Labs / 実験室

「渚と詩人の三章」についての覚え書き

まえがき

ある作品を演奏するために必要なことはすべて楽譜の中に書かれてあるものだ、とする意見には警句としての価値はあると思う。
楽譜からは取り出し得ないはずのさまざまな周辺情報を音楽理解のために援用し、楽譜をよく読まないことへの煙幕(本当は演奏家と作品とのあいだの煙幕である)とする態度をそれは批判している。

とはいえ、楽譜は音楽そのものから見れば極めて不完全なものであることも自明であって、そこにすべてが(わかるように)書かれているわけではもちろんない。また書くこともできない。
従って、おおかたの作曲家は不完全で舌足らずなおのれの提出物から、演奏家の賢明によって本当の音楽が救い出されるのをいつの時代も待っているわけだが、しかし、理想と現実の隔たりには偶然の邂逅を待つよりほかはないのか?

楽譜という形で提出したまま、作曲家が何も言及しないという態度にも理由はある。
そのひとつは(自意識過剰と言われればそれまでだが)、作者自身の言に必要以上の重量が与えられることで作品への視座が固定してしまうことへのおそれだ。作者自身の見方もひとつの見方にすぎない。もしかしたら作者の見方は案外陳腐であるかもしれないではないか?伝言ゲームから思いもかけない収穫を得る場合だってある。

けれども──私は自分の作品の、ここが重要だ(と私が思う)、ここにはこんな価値がある(と私が思う)、この部分を作曲していたときこんなことを考えていた(私が考えていただけ)、そんなところに少しだけアンダーラインを引いてみようと思う。もちろんそれらは解ではなく、素っ気ない私の楽譜(たぶん)を前に困っている演奏家への小さなきっかけになればということだ。それがつまらない結果になるおそれは依然としてある。にもかかわらず書くのは、簡単に言えば、「俺にも言わせろ」ということでしかない。
楽譜との交渉は演奏家の完全な自由であることをもう一度確認した上で。
できる限り、慎重に。

私の作品の中では比較的多くの演奏機会を得ていると思われるマンドリンオーケストラのための作品、「渚と詩人の三章」をここでは取り上げる。
なお、スコアのすべてを譜例として上げるわけにはいかないので、RaKuDa PUBLISHING Plus+から発売中されているスコアを参照しながら読んでいただければありがたい。録音は初演時の演奏を収録したCDがARTE MANDOLINISTICAから発売されている(NACD2118/9)。こちらもぜひ参考にしてほしい。




渚と詩人の三章

編成 Mandolin Orchestra
作曲年 2006.6.8
初演 2006.10.9 ザ・フェニックスホール
第2回大阪国際マンドリンコンクール&フェスティバル
井上泰信(Cond.)
ARTE MANDOLINISTICA
演奏時間 12分


私は1997年頃からマンドリンオーケストラのためのアレンジをしているが、この編成のためのオリジナル曲を書く機会はなかなか巡ってこず、2006年作曲のこの作品が初めてのオリジナル曲である。ARTE MANDOLINISTICAの主催する第2回大阪国際マンドリンコンクール&フェスティバルの作曲コンクール・アンサンブル部門に応募するために作曲し、第1位を得ている。
作品は3つの楽章からなり、それぞれに以下のようなタイトルがついている。


作曲時から3年ほどが経過しているが(2009年11月現在)、客観的に作品を振り返るにはかえっていいだろう。3つの楽章についてそれぞれ以下に考察を試みてみたいと思う。文中、特に作者の独断が強いと思われるコメントはイタリックで表記した。また、[ ]はスコアを参照している方へのガイドとして記した。




1. レント・ラメント

曲の構成はA-B-Aの三部形式。全体を図示すれば以下のようになる。

図1:

(A)・・・[1-4小節]
(B)・・・[練習番号1-]
(C)・・・[練習番号2-3-4-]
(A')・・・[練習番号5-]
(B')・・・[練習番号6-]

赤い線で引いてあるのは串刺し和音の核音(「串刺し和音」については自作解題1──串刺し和音を参照)。この楽章はほぼすべての要素が串刺し和音の方法論から導き出されている。
図1の(A)はH音に串刺しされた「長7の和音+長9度」の和音の提示。CM7(9),EM7(9),BM7(9),GM7(9)。
最後のGM7(9)がそのまま引き継がれてたなびく中に、Guitarのハーモニクスが上昇する(図1の(B)、譜例1)。

譜例1:

譜例2:

背景にたなびく和音GM7(9)は尺取り虫の動きをしながら上昇していく(譜例2)。螺旋状に昇った先に新たに提示される次のセクションへのシグナルがGuitarのハーモニクスで3回鳴らされる。

冒頭から[練習番号1]についての覚え書き:
・図1の(A)の部分[1-4小節]のダイナミクスの変化は非常に重要である。
・図1の(B)の部分[練習番号1-]のMand.,Mla.パート(つまり譜例2)の、まさに「尺取」っているところの小さな松葉記号も重要だ。譜例2の黒丸になっている音符が順々に、ぼんやりと浮かびまた消え去りながら、しかし和音はいっさいの変化のないままグラデーションを描いているのである。

図1の(C)は3つのブロックからなるが、これらもすべて串刺し和音でできている。和音だけを抜き出してみる。

譜例3:

串刺し和音の形態はここでは単純な2つの現れ方をする。核音がトップノートにある型[練習番号2](上蓋型)、核音がバスにある型[練習番号3,4](底板型)。なおかつ練習番号3の底板型ではトップノートが全音音階を形成している。
そして、[練習番号3]までに現れる串刺し和音はすべてM7系の和音であり、[練習番号4]からあとのそれらはすべてm7系になっている。この楽章の分水嶺がここにある。

図1の(A')で再びH音に串刺しされた、今度は「短7の和音+長9度」の和音の提示[練習番号5]。Am7(9),C#m7(9),G#m7(9),Em7(9)。
最後のEm7(9)がそのまま引き継がれてたなびく中に、Guitarのハーモニクスが今度は下降する(図1の(B')[練習番号6])。

[練習番号6]についての覚え書き:
・先に出てきた部分より、こっちの下降のフレーズの方が音楽として明瞭であるべきだと思う。[練習番号6の2小節3拍目]に現れる下降音型が5本のGuitarでユニゾンになっていること、[4小節3拍目]に3連符ではなく通常の8分音符で、テヌートが付けられ、espr.と書いてあることに注意が払われるべきである。

[練習番号7]についての覚え書き:
・4小節しかないが指示通りのテンポで演奏すれば24秒かかる計算になる。
・2nd.に書かれた「last number player solo」の指示の意図は、コンサートマスターが弾き終わっているにもかかわらずエコーが聞こえるような錯覚を与えるためのトリックなので、できるだけ客席から見えにくい位置にいるプレイヤーによって演奏されればよいわけだ。もっと言えば、ここではコンサートマスターは自分に注目が集まるようにしなければならない。




2. 風の詩人

この楽章も大まかに言ってA-B-A'の三部形式で書かれている。
Aの部分[冒頭-練習番号3-]はさらに3つに分かれる。それぞれの動機は以下のとおり。

譜例4:

前半のAはa[冒頭-練習番号1]-b[練習番号2-]-c[練習番号3-]、後半のA'はb[練習番号8-]-a[練習番号9-]-c[練習番号10-]となる。
冒頭に現れるaにはさほど動きのないバスが当てられているが、後半のaではドミナント進行を多用する。常套的ではあるがこれが再現を劇的に印象づける要因になっていると思われる。

[冒頭4-5小節]についての覚え書き:
・4小節4拍目裏に現れる旋律のCisと5小節の和声に含まれるCとの対斜は違和感だろうか?そのすぐ先に書かれたsotto voceの意味はこの辺にありそうである。

Bの部分[練習番号4-練習番号7-]は再び1楽章と同じく串刺し和音の原理で書かれている。詳述はしないが、核音はEの部分とHの部分があり、長7の和音、短7の和音、「長7の和音+長9度」の和音の串刺し和音列が見て取れるだろう。

[練習番号6]についての覚え書き:
・ここのGuitarパートの音型はVilla=LobosのEtude No.11の中間部である。
・同じ部分に現れるMand.は、最初の和音がE音に串刺された4つの長7の和音の集合、あとの和音が短7の和音の集合になっている。

この楽章のある種のポピュラリティが、「渚と詩人の三章」の演奏頻度を上げている(私の作品にしては)のは間違いないだろう(「この楽章だけを取り上げる」というようなご連絡もこれまでにいくつかいただいている)。
耳に残りやすい主題、はっきりとした対比、再現部の(ややあざとい?)反復進行。この楽章は実質3日ほどで作曲しているが、使う素材がよかったのか、確かにうまくはまっている。無駄な部分のほとんど見当たらない佳品だと思う。




3. エヴォケイション/伝説的帰帆

前の2つとは異なり、この楽章はかなり自由な形式で書かれている。
4/4と5/8が交代するAndante religioso[冒頭-練習番号2]。
練習番号1の前までは1st, 2nd, Mla.の3soliで始まる室内楽(譜例5)。

譜例5:

ほぼ同じことが今度はtuttiで繰り返されるが、ダイナミクスは逆にpppになる。囁くようなtutti(譜例6)。

譜例6:

[冒頭-練習番号2]についての覚え書き:
・tuttiにpppという通常とは異なるダイナミクスが付けられていることの意味は前後の関係から理解されたい。3soliとtuttiの実際の人数の差に配慮する必要はあるが、ここの「囁くようなtutti」を実現するためには対比が必要になる。つまり、その前の3soliが、(pもしくはmpであるにしても)はっきりと通る声で演奏されなくてはならないだろう。「囁くようなtutti」はそのすぐあとのmf,rfのためにも重要である。あえて例えて言えば、3soliは非常にパーソナルな声であり、pppのtuttiは群衆の(極めてかすかな)ざわめきのようなものに近い。
・この辺りの5/8の5拍目は常に次の小節の弱起として考えるべき拍だろう。つまり、5/8は実際には2/4+(次の小節の弱起としての)1/8である。

[練習番号3]からguitarの8分音符のオスティナートが始まる。5小節ののち、不意のクレッシェンドがオスティナートを2nd.とMla.にfで引き継ぐ[練習番号4](譜例7)。

譜例7:

オスティナートはこのあと最も激烈な場面へと到達する[練習番号6]。そして、ffの先に待っているのはこの作品中最大の断崖である[練習番号7](譜例8)。

譜例8:

[練習番号7]についての覚え書き:
・これ以上の落差はあり得ないだろう。そして、ここのフェルマータはその語の本来の意味である「静止」に近い音楽的意味がありそうである。

[練習番号9]からは短いコーダ。長7の和音で作られた単純な底板型の串刺し和音である。ここでもトップノートは全音音階を形成している。
[練習番号10]は2小節、Molto Lento(4分音符=30ca.)。串刺し和音でたどり着いた先のB♭M7を第2転回形にして、ただその和音が延ばされる。しかしB♭M7は、ここではB♭とDmに分離して聞こえてくるはずだ。長三和音と短三和音のどちらともつかない印象を残して、上空へと吸い込まれていくフィナーレ。


スコア:https://store.piascore.com/scores/53389
録音:http://www.arte-mandolin.com/product/cd2006aimfc

参考テキスト:
プログラムノートのページ

参考音源:
YouTube
井上泰信(cond.) ARTE MANDOLINISTICA
2017.3.5 京都コンサートホール 大ホール(京都市)
京都公演2017