24日
「日本語に旋律をつける際は、言葉のイントネーションの高低を音の高低に当てはめる」というのが山田耕筰以来の常識みたいになっているが、イントネーションの平坦な部分に関しては「平坦でもよいし、上がっても下がってもよい」という取り扱いになっていると思う(たぶんね)
で実際そういう風に作曲すると日本語がおかしく聞こえる旋律にならないので、さすが耕作先生、ということではあるのだが
でね、関西弁には関西弁のイントネーションがあるわけです
それを山田理論に当てはめて作曲してみると、ちゃんと関西弁の歌になる
いやいやブラボー耕作先生、と言いたいところだが
イントネーションの平坦なところに関しては、関西弁の場合、平坦なら平坦にしておかないと関西弁っぽさが失われてしまう、ということが判明した(当社調べ)
標準語はマジョリティなのでそのままで日本語だけど、関西弁はマイノリティなので関西弁の特徴を押し出さないと関西弁になれない、ということなのでしょうね