埼玉日記 2010年1月

埼玉日記


2010年1月

30日


樹氷出現

2週間前蔵王山頂ではガスってて全然見えなかったがこんなところに現れるとは
おぬし

29日


14年前に書いた弦楽四重奏曲を改訂した
といっても2、3小節省いた箇所があるのと、あまりに適当に処理されているいくつかの細部をいじり直しただけだ
ある時期以前の曲はもう自分には本当の意味での改訂作業をすることができない
いま作り直したりしたら逆によかったところに気づかずに削ってしまうのではないかという不安があるからだ(晩年の宮沢賢治みたいに)
そのときの気分にもなれないし
もともと曲を書くのは非常に速いのだが、それは早く書き上げてしまわないと自分の書いた楽想に飽きてきてしまうからさっさとやっている、というのが実情に近い
ちんたらしてると曲の冒頭とかがつまらなく見えてきたりしてしまう

鉄か

14年前の弦楽四重奏曲なんてかちんかちんである

ちょっとだけ磨いてやった
いい感じに黒光りしてきた

26日


サントリーホールで都響
お箏コンチェルトの勉強

***

何のためにあるのかわからないもの、というものが普通にそこにあるということが大事なことである

21日


東京文化会館で都響を聴く
Britten のシンフォニア・ダ・レクイエムが秀逸

19日


ホマドリームに行く
会社は存続
雑誌GuitarDream 誌も存続(次号は1ヶ月遅れるらしいが)
万歳

17日


山形5日目
同じプログラムで2回目の定期演奏会
ここはお客さんも暖かいですね

そのあと蔵王に行きました

16日


山形4日目
午前中霞城公園を散歩
たむろする猫たち


午後からゲネプロ


***

夜、本番の会場は大盛況

山形交響楽団 第202回定期演奏会
─大作曲家の青春時代─
山形テルサホール

プログラムはブラームス「ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15」/壺井一歩「はるかな祭と海」/ブラームス「運命の歌 作品54」
休憩のあと授賞式、そのまま飯森さんとオーケストラの実演付きで曲の解説トーク

終演後はロビーで交流会&インタビュー


「はるかな祭と海」は実質10年前に作曲した作品だった
師匠の池野成や、Debussy, Stravinsky からの影響があらわな若書きの作品だ
もう演奏されることはないのだろうとどこかで思っていた曲が、10年の歳月を経てこうして音になるのはただただ作曲家冥利に尽きるが、同時にとても不思議なものを見る思いがする
「自分、ちゃんとまじめに音楽やってたんだな」そう思った

山形交響楽団は、その佇まいが美しい

15日


山形3日目
今日はちょっとだけ寒くない
でも夕方からまた雪

練習は今日は本番のテルサホールに移動
音楽がどんどんクリヤーになっていきます
すばらしい

そして、日付が変わる頃、もしやの嬉しいニュースが届く

14日


山形2日目
今日も寒い


「はるかな祭と海」どんどんいい演奏になってきた!

1st Vn. のトラにのってた懐かしい人と再会
(アンサンブル・ロカ復帰しませんかKさん)

「ゆーきやこんこん」を流しながら街なかを行く謎の給油車?に遭遇
その名もコンコン車

コンコン車
かー

13日


山形初日
寒い


文翔館というかっこいい練習場
素敵な演奏になりそうです

「途切れない会話」


2009年12月30日菅原潤氏が亡くなられた

年が明けて3日にお通夜、4日に告別式があった
大勢の人がやってきた
ギターの演奏でお見送りがあった

遺影の菅原さんはずいぶんと太って見えた
53歳だった


***


 私が菅原さんとおつきあいさせてもらった時間は3年と少ししかない。けれども、この3年は私には大きかった。
 私はギターが大好きだった。高校の頃、衝撃的にこの楽器に出会って以来ずっとファンだった。自分では音をなぞる程度にしか弾かなかったが、それでもタンスマンとブローウェルとドメニコーニはそれぞれに別の価値があるという程度の理解はしていた。現代ギターまで購読していた。それから当然ギター曲を作曲し始めた。けれでも、10年近く、何を書いても、まったく演奏される機会はなかった。

 私は菅原さんに拾ってもらったようなものだ。3年ほど前、とあるギターの作曲コンクールのガラガラの会場に聴きにきていた菅原さんは私に「もっとわかりやすい曲を書いて一山当てませんか」と言ってくれた。嬉しかった。もちろん言葉通りの意味もあるだろう。でも私はもっといろんな意味を含んで言ってくれているように感じた。勝手にそう受け取った。「○○さんが弾いたりしたらドーンですよ」菅原さんのこういう言い回しが今も大好きだ。
 その後、「新12の歌」につながるアレンジを書かせてくれた。書いてみたら雑誌に普通に載せるには難しすぎると言って、宮下祥子さんを紹介してくれた。1月発売予定の宮下さんの3rd アルバムにそれらはすばらしい演奏で収録されている。
 「新12の歌」ほど難しくないやつをということで雑誌では四重奏のアレンジを担当させてくれた。選曲は毎回菅原さん。創刊4号から全部で15曲書かせてもらった。
 コンクールに入賞した(わかりやすくない)作品も出版してもらった。「こんな曲売れないでしょう」と言ったら「僕らが死ぬ頃にはなんとかさばけるでしょ」と言っていた。雑誌の演奏コンテスト用に三重奏曲を作らせてくれた。それも出版してもらった。

 「僕は啓蒙したいんだ」08年のホマドリームの忘年会のあと、喫茶店で二人でやった二次会で菅原さんはそう言った。演奏家への注文は傍から見てても結構容赦なかった。でも同時にそのギタリストのことがほんとに好きなのだということがわかる人だった。……私への注文の仕方はそれに比べると紳士的だった。どの程度買ってもらっていたかはわからない。まだまだ保護観察中だったのではないだろうか。
 のどを切って食道で喋るようになってからもおしゃべりだった。椅子に座っているときはMacBookAir で喋っていたが文字変換は下手くそだった。

 2月発売予定の21号に掲載する四重奏アレンジの曲目を何にするのか、メールを書いたのが締め切り近い12月10日。その返事は「オリジナルを書いてほしい」という内容だった。

差出人: Jun Sugawara <*******@**.com>
日時: 2009年12月12日 18:24:01:JST
宛先: 壺井一歩 <******@***.com>
Cc: 菅原潤 <****@*********.com>
件名: Re:CDジャケット写真


返事がおくれてもうしわけありませんでした。
ジャケ写おくます。

ところで、また11月25日か入院しています。
今回は薬漬にされて、その薬がいずれも催眠効果をともなており、
今日、試しに缶コーヒーを飲んだら嘘のように消えました。

ということで、入院以来始めてマックを出して、仕事を始めました。

まず、言っておかないとならないのは、今回はなんだか運がつきたかか、
50、50って感じです。もちろん、家族もあるし、雑誌もあるので
頑張りますが。

そこで相談なのですが、次の号の坪井さんの曲はホルストでしたが
それを変更して、別の曲にしてほしのです。それもオリジナル曲。

手近な例で曲を説明しますが、ショスタコーヴィッチの5番の静謐なアンサンブルを基本として、
最終楽章の前半の木管アンサンブルに聴き取れる、各々ん楽器の背景などを引きずった上での美しい歌の数々。
あの部分はなんど聴いてもぐっときます。

ということで、3楽章のように何かが起こるのではないかという予感(実際には起こらない)。そうし中での親密な
者どうしの真心あふれる真実の会話のやり取り。そしてまたなた何かが起こりそうな不安。・・・・

相変わらず勝手にプロット書いてしまいました。

タイトルはそうですね、「途切れた会話」(フランス語)にしたいとおもいます。

どうでしょうしょうか? このアイディア。あ、被献呈者は私ですよ。
私とのエピソードがなくても広く弾かれる感動的な作品に仕上げてください。
3重奏、4重曹はといません。書きやすいほうでどうぞ。またページも12ページぐらい開けておきますね。

あまり深く考えないでくださいね。
元気に退院しましますから。


菅原 潤

 ショスタコーヴィチの5番は高校の頃吹奏楽でやったんだよ、と10月に菅原さんが言っていた。私も高校の頃毎日のように聴いて隅から隅まで知っている曲だった。
 先の仕事があってすぐには取りかかれなかった。イメージトレーニングのように懐かしいその曲を4、5日聴き続けた。
 ようやく書き始められたのが12月21日。
 12月30日、午後から出かける用事があって、でも8割方完成していてあとはコーダを考えればよいというところだった。……途中経過を送ろうかな、とふと思った。いつものアレンジの場合であればすでに締め切りを少し過ぎているし、雑誌には録音が付くので進捗状況がわからないと雑誌の制作に支障が出るだろうと思ったからだ。普段ならそういうことはしない。年内完成は微妙です、と言ってあったこともあった。結局送らないまま出かけてしまった。
 次の日の朝、昨日の夕方に亡くなられた、という連絡があった。


***


 作品は1月3日のお通夜のあと、夜遅くに完成した。
 菅原さんは昨年の秋頃から、敬愛するソルのギター作品のすべてを自身で校定し、出版ではなくそのままネットで公開するという作業を始めていた。私もそれに倣って、菅原さんへのつたない贈り物をここに公開することにする。

[2010.3.8追記]
 Guitar Dream No.21(2010.3.6発売号)に作品が掲載されたため、スコアの公開は終了させていただきました。雑誌には毛塚功一氏の素晴らしい演奏(多重録音)が添付CD に収録されております。ぜひお買い求めください。なお、パート譜のみ引き続き置いておきます。ご活用ください。


[2019.11.4追記]
 掲載誌の入手が困難になってきたため、スコアはPiascore から販売することにしました。こちらにもパート譜は付属しておりますが、上記パート譜のみのリンクも残しておきます。
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