29日
川口雅行ラストリサイタル 大阪公演
会場のザ・フェニックスホールは2006年にとある作曲コンクールで賞をもらったとき以来だった
そのときのたくさんの魅力的な出来事の記憶と、大阪という都市の自分にとっての形而上的な故郷という思いからの懐かしさがないまぜになった、そんな場所
舞台は後方が窓にもなって、夜の公演では夜景を背にとても美しい
……
「だが、私たちは希望する。私たちの胸の中には
愛の奇跡の、
燃える予感が生きている。
兄弟よ! 私たちにとっては、
精神に向って、愛に向って、帰る道が、
すべての失われた天国に向って、通じる門が、
開かれている。
欲せよ! 望めよ! 愛せよ!
世界は再び君たちのものになった。」
……
第二次世界大戦が終わった1945年、ヘルマン・ヘッセは放送局でこの詩を詠んだ
その詩を私は自作「はかない青春〜ヘルマン・ヘッセの詩句による12のスケッチ〜」のラストの曲に引用したのだが、2023年10月にそれを聞くことの虚しさとは一体なんだろう
川口雅行さんの極上のピアニシモによって曲が閉じられようとするときに、ガザでは病院が空爆されていたのだ
打ち上げの席でテノールの千代崎さん(マンドリンと歌のための「寝息のような春」にご出演)は自身ユーゴスラビア紛争の最中にサラエボでオペラに出演した話をしてくれた
たくさんのお客さんが来てくれたそうだ